スマホに飲み込まれないための覚悟

読書の障害

 これまで東ジャーナルでも何度か取り上げてきましたが、インターネットやスマホの危険性に関して、いろいろな人がさまざまな意見を述べています。そんな中、先日「親の立場から考えたスマホとの付き合い方」という趣旨の文章を見つけました。著者はインスタグラムなどで教育に関する情報を発信している、4歳の男の子の母親だそうです。その内容がとても心に残ったので、今回ここで紹介したいと思います。

 《みなさんは、初めて読んだ小説を覚えているだろうか。私は小学生の頃だった。ちゃんとした文庫本を読んだのはそれが初めてで、期待せずに読んでみたらとても面白く、文章から情景がありありと浮かんで驚いた。文字だけでこんなにも恐怖心を駆り立てる事ができるのか!小説ってすごい!と。それから小説にのめり込んだ。本棚に並べられていた、兄や母が集めた小説たちを一通り読んだ。 どんな本にも、必ずひとつは学ぶべきことが書いてある。想像力を掻き立て、自分に起こる現実以上のことを擬似体験できるのは、もはやそれ自体が「人生経験」と言っても過言ではないのではないだろうか。直接何かの成果には繋がっていなくても、人生の様々な場面で読書及び、それによって得た知識や言葉は、私の道標となった。 息子にも、本を沢山読んでほしい。辛いことや、悲しいことに直面した時にもきっと助けになってくれるはずだ。》

 文章ではまず最初に、筆者自身の読書のきっかけや思いについて述べられています。そして、ある心配なことに思い至るのです。

 《もしやこの四六時中連れ回しているスマホこそが、読書好きになることを阻害する一番の要因になりうるのではないか。
 もしあの時代にスマホがあったら、両親はあそこまで本を読んでいただろうか?そして私自身も、より手軽に無料で時間を潰せるコンテンツが無限にある中、わざわざお小遣いを握りしめて本屋に走っただろうか? 想像できない。》


 確かに、娯楽が少なかった昔とスマホなどの誘惑がたくさんある今とでは、子どもたちを取り巻く環境が明らかに異なります。本を読まない子供たちにとって、読書という行為のハードルはさらに高くなったのではないでしょうか。

スマホに支配されてはいけない

 筆者はさらに指摘します。

 《そのうえ、スマホはアウトプットを妨げる。なぜなら「これやってみたい!」と思った次の瞬間には、もう新しい情報が脳にドカスカ送り込まれているからだ。
 何か検索しようとYahooを開こうもんなら、まず第一にYahooニュースがズラリと目に入る。一旦検索は後回しにして、気になるトピックスを読んでみる。そしたらまた下のほうに興味をそそる記事が出てくる。そうして気づけば調べもののことなど忘れ、平気で30分経っている。こんな調子で大切な人生を食い潰している私だが、じゃあさぞ知識豊富な人間になったかというとそうではない。ショート動画、YouTube、SNS……取っ散らかった集中力のまま、赤の他人の私生活と情報だけがどんどん脳の中に入ってきて、まるで健全とは言えない……。》


 このような状況に危機感を抱いた筆者は、外出時にはSNSを見ないことを決めて(そのために通信量の少ない料金プランに変更までして)、それを守ろうと頑張ります。
 なぜそこまでの危機感を抱いたのでしょうか。その理由にふれた文章があります。私が今回もっとも心を打たれた文章です。

 《おそらく子供がいなければ、そんなこと気にしなかった。
 だけど思ったのだ。例えば息子が小学生くらいになって、家族でお出かけ中にスマホばかりいじっていたら、私はきっと悲しくなってしまう。
 目の前の原体験よりも、美しい景色よりも、美味しい食事よりも、手のひらのスマホに夢中になる息子を見るのが単純に悲しい。
 スマホを介して際限なく入ってくる膨大な情報を全て捌けるほど、脳は優秀ではない。 もはやこれは、食うか食われるかの戦いである。インターネットの美味しいところだけを上手く利用できるのか、もしくは、骨の髄までしゃぶりつくされてしまうのか。優秀な頭脳を持った開発者たちは人間の心理や依存性を利用し、今後も必死で魅力的なコンテンツを生み出してくるだろう。
 私には、自らと家族を守る義務がある。どんなに時代遅れと言われたって、死ぬまでスマホに制限をかけ、紙の本をめくり続けていく》